ポップンの話
こんにちは、宇[検閲対策]ルです、凍結対策です。
倉木麻衣さんの画像は省略します。
COJをプレーするきっかけになったぷよクエACをプレーするきっかけになったゲーセンに行くきっかけになったポップンミュージックの話を書きます。
小学生高学年の頃、おれは小学生仲良しグループの中心で、スーファミも64もプレステもあってジャンプも毎週買っているおれの家は友人たちのたまり場でした。
ただゲームソフトは、64だとポケスタとマリオ64とマリカー、プレステはモンスターファームと桃鉄ハッピーとあと何かって感じであまり充実してませんでした。
そういうこともあって、ソフトは友人が持ち寄ってきてそれをやることが多かったです。
ある日、ムーミンってあだ名の友達がおれの家に持ってきたのが、家庭用(CS)ポップンミュージック2でした。
ムーミンが最初にセレクトしたのは、『ヴィジュアル』というジャンルの曲。
https://www.youtube.com/watch?v=Ya5eEW3jDeY
ユーリ様カッケェ~
今聴くと痴漢に遭ってるオカマのよがり声みたいなへなちょこボーカルと、揚げ物に敷いてあるパスタ程度の存在感のギターに驚かされますね。
しかし当時のおれは、妖艶な歌声とうねるようなギタリズム、そして何よりめちゃくちゃ難しそうな階段譜面に心を奪われてしまいました。
ほかにも、『J-テクノ』や『デジロック』といった、クールで刺激的な曲は少年だったおれを、家にきている他のみんなを無視してポップン2を遊び続けさせるぐらいに熱中させました。
その様子を面白がったのか、その次にムーミンがおれの家に持ってきたのがCSポップン3,4でした。
これらにはパワーフォークシリーズという、しばらくポップンミュージックの看板の一人として活躍したアーティスト、新堂敦士の曲が収録されていました。
むちゃくちゃ人気の曲でした。
CSポップンにはクラシックシリーズという超インフレ難易度の曲があったのですが、それを除くと『パワーフォーク2』は最高難易度に位置する曲でした。
これはムーミンもクリアできなかったので当時はオートモードで見てました。
セクシャルな感じの歌詞にとにかく難しい譜面、当時からゲームだいすきおたくクンだったおれは何が何でもパワーフォーク2をクリアしたくなりました。
そして間もなく両親にねだって4を買ってもらいました。ポップン4はアペンドディスクという、ポップン1か2を最初にプレステに読み込ませてから途中でポップン4に入れ替えて遊ぶ仕様だったので、ポップン2も買ってもらいました。専用コントローラーは買いませんでした。
5ボタンからはじめて、家にいるときは友達がいるときもいないときもポップンをプレーし、色々な曲を楽しみました。
卍硬派卍少年だったおれは、女ボーカルの曲なぞ女々しくてカスだと思ってましたが、『ナイトアウト』や『ブリットポップ』はそんな気持ちを吹き飛ばす楽曲でした。今聴いてもめちゃすこです。
ブリットポップはVocalBest盤を聴いてくれ~
クラシックシリーズ以外は全部クリアした頃、CSポップン5が発売しました。
曲の難易度も一気にインフレしやりごたえのあるゲームとなっていましたが、おれのCSポップン5の一番の思い出は、ACポップン6から先行収録されていた『ヒップロック』との出会いでした。
『如意棒握る田と力』の歌詞はチンポ握る男という意味だと言われています。
ヒップホップ文化が今ほど根付いていない当時、意味不明だが韻を踏みまくってる歌詞が衝撃的でした。
また、ポップンシリーズではこれまでギターがゴリゴリした曲がそこまでなく、この曲のギターの攻撃的な様子におれの血は滾りました。
おれの影響でムーミンをはじめとした友人たちもこの曲にハマり、みんなで歌詞を耳コピしたり、この曲を歌いながら下校したりしてました。
この大見解、ビーマニ5鍵やギタドラやダンレボにも移植され、凛として咲く花の如くが出るまではポップンの一番の顔曲だったのではないかと個人的に思っています。
そしてもう一つ、ヒップロックよりも攻撃的なビートと意味不明な歌詞を備えた曲がCSポップン6にはありました。『オイパンク』です。
ONI-GUNSOWなんだよなぁ~
「俺のカレーにだけ肉が入ってね~」「俺のおむすびだけ鮭が入ってね~」と叫ぶこの曲は小学生のおれには勿論バカウケだったのですが、それ以上にHR/HM大好きだったおれの父親が、この気に入りました。
そしておれに「これ(オイパンク)が好きならSEX MACHINEGUNS聴いたらいいよ」と父親からアドバイスを受け、そこからおれの音楽的嗜好が固まり始めました。
おれはゲームおたくなので、ポップンの影響を受けてゲーム外のアーティストの曲を聴くようになったケースばっかりです。いずれまたこの話はブログに書きたいなと思います。
音ゲーしない人もなんとなくご存知のソフトロックもポップン5で初収録でした。
別に歌が上手いわけでも歌詞に惹かれるわけでもなかったですが、当時のおれでも「なんかいいな~」と感じていました。
懐古厨のバイブル
CSポップン5の発売の前後でゲーセンでポップン7が稼働開始し、それから程なくポップン7のサントラが発売されました。
新しいポップンの曲をどんどん知りたいと思っていたおれは、ムーミンからサントラを借りて、 開拓に走りました。
明らかに椎名林檎オマージュの『ショウワカヨウ』、振られ男の悲哀をgood-coolの激しいギターと歌い上げる『ハードロック』、ナードな感じの暗いボーカルがグっとくる『ミスティ』、ヒップロックのDes-ROWが新たに引っさげてきたSablime風ミクスチャー『デスレゲエ』…数えればキリがありません。おれはポップン7のサントラを聴き込み、アーケードでポップン7をプレーしたい気持ちが高まってきました。
中学生の時に六×ユンタのやおいイラスト見てトラウマになった
居ても立っても居られず、ある土曜日、同じ塾に行っていたムーミンに「ポップンやりにゲーセンに行くぞ!」と言いました。
突然の提案ではあったのですがムーミンも乗り気だったので、塾が終わってすぐにおれたちはゲーセンに行くことになりました。
そう、おれたちは小学生の身でありながら、社会不適合者・半グレ・犯罪者の巣窟であるゲーセンに向かったのです…!!
宮崎市南部にあるダイエーの3階アミューズメントコーナーの一角に、ポップン7があることはリサーチ済でした。
おれたちは出来上がっている列に並びドキドキしながら自分たちの番を待ち、15分そこらで順番は回ってきました。
おれたちはアーケード版をまともにプレー出来る気がしなかったので、二人で9ボタンをやろうと決めていました。
もう何のキャラクターを選んだかは憶えてません。
ただ、ムーミンのリクエストで一曲めは『スウェディッシュ』をプレーしました。もちろん難易度はノーマルで。
キャラの女は正直キツ峰
そして、クリアはできませんでした…。
当時のポップンは2曲保証とか存在せず、クリアできなければ1曲目でもゲームオーバーになる仕様でした。
後ろに並んで見ているプレイヤーも居て、おれとムーミンは二人がかりでも簡単な曲を落とした恥ずかしさなどもあって、ぼのぼのみたいな汗をかきながらそそくさとその場を撤退させられました。
こうしておれのゲーセンデビューはなんだか恥ずかしい感じに終わってしまいました。
程なくして中学生に上がり、それからはポップンのために毎週末ゲーセンに通うようになりました。
多分この体験がなかったらCOJやってなかったのではないかと思います、ポップンやらなきゃよかった~~~~
めちゃくちゃ余談ですが、ムーミンは中学生以降はポップンをあまりせずエロ絵の練習に勤しみ、高校生になってからは唐突にヴィジュアル系バンドにハマって自身もルナシーのコピバンを組み、初ライブでのI For Youがドン滑りして不登校になり、そのまま退学しました。
以上、よろしくお願い致します。